田園都市線の、渋谷行き各駅停車に乗っていた。外を流れる景色さえあれば、長時間の移動でも全く苦にならない。五月のゴールデンウィークで、よく晴れた日だった。青い座席シートの繊維が、まるで産毛のように午後の光に包まれていた。風が冷たい日だったけれど、雲ひとつない空のおかげで電車の中は暖かくて、ぼくはうとうとしながら扉の横に立っていた。乗客はまばらで、電車はいつもよりゆっくり進んでいるような気がした。ぼくは電車が好きだ。電車のいいところは、ぼくが乗るずっと前から決められた駅に停車して、ぼくが降りたあとも、ぼくが見ていないからといってずるをせずに、終着駅まで走り続けるところだと思う。ぼくはただ、ぼくのいない世界にもともと走っている電車にしがみついて、しかるべきタイミングで手を放せばいい。 その日は大学のゼミの同窓会があって、四年間通ったキャンパスの近くでお酒を飲むことになっていた。ぼくはまだ二十五歳で、四月から事務員の仕事をはじめたばかりだった。めまぐるしい日々がひと段落したゴールデンウィークで、気分は明るかった。 ぼくは横浜市緑区小山町のアパートに住んでいた。大学一年生の途中から住みはじめて、そのときにはすでに六年ほど住んでいたことになる。ぼくの実家は神奈川の藤沢にあって、大学一年生の秋までは片道二時間をかけて都内の大学まで通っていたけれど、一人暮らしがしてみたくなって家を出た。せっかく家を出たなら大学の近くで暮らせばよかったのに、中途半端に自宅と大学の中間くらいのアパートを見つけて、部屋を借りた。部屋を決めたあとで、直線距離は半分になっても、交通機関の都合で片道二時間が一時間半になっただけだと気づいた。田園都市線の青葉台駅とJRの中山駅が最寄りで、どちらの駅にもバスで行くことになる不便な立地だった。 大学の近くに住むのに比べて、家賃はかなり安く済んだけれど、毎月の定期代を考えると結局のところ費用はあまり変わらなかったと思う。それでもぼくは、あの白いアパートが好きだったし、あの町の雰囲気が好きだった。小さな川が西から東に流れていて、田んぼや畑がたくさんあった。いまでもそうだと思うが、青葉台がある緑区には、お年寄りが多かった。駅の構内にはベンチがたくさん並んでいて、スーパーや銀行の店先にも、勝手に持ち込んだような不揃いな椅子がたくさん並んでいて、いつでもおじいさんやおばあさんが腰を下ろしておしゃべりしていた。お年寄りにはお年寄りの世界があるということを、ぼくはそのときに知ったのだった。孫がどうだと話しているお年寄りはまだ尻の青いお年寄りで、ほんもののお年寄りになると、もういちど息子や娘の話をしはじめる。孫はかわいいが、かわいいだけで結局何もしてくれないからだ。さらに、病気の話をしているうちはまだよくて、本格的なお年寄りになると、次第にお墓の話が増えてくるらしかった。お年寄りにも段階があるということを、ぼくは青葉台駅の周辺で聞き耳を立てて学んだ。 大学の最寄駅に降り立ったぼくは、やはり懐かしい思いにかられて、ぼんやりとした。どうせぼんやりするだろうことは初めからわかっていて、むしろゆっくりぼんやりするために、同窓会が始まる時間よりもかなり早く駅に着いた。大学を卒業して二年しか経っていなかったし、卒業してからも何度か大学の近くに来ることがあったけれど、そのたびにぼんやりしてしまう。よく知っている場所に来たような、本当にこんな場所だったかなあというような、なんとも不思議な感じがする。 ひまつぶしに大学の構内を歩いてみた。ゴールデンウィークは授業がないようで、キャンパスは閑散としていた。図書館で自習するらしい学生と、何度かすれ違った。学生たちの様子は、ぼくがいたころと変わっていないみたいだった。変わったことといえば、いたるところに喫煙スペースができて、分煙がすすめられているくらいだ。 「あける」 どこからか、ぼくの名前を呼ぶ声がする。周りを見回すと、喫煙所でたばこを吸っている男が、こちらを向いて手を振っていた。ぼくもなんとなく振り返す。黒いふちのメガネをかけて、ジーパンを履いて、肩から斜めにショルダーバッグをかけている。平均的な身長で、四角い顔をして、髪は切り損ねたようにバサバサと跳ねていた。友竹くんだ、とすぐにわかった。友竹くんはゼミの友人で、同窓会に参加するひとりだった。 「久しぶり。いつぶりだ? 卒業してから会ってないぞ」 ああそうだ、友竹くんはこういう話しかたをする人だった、と思い出す。自分の言葉を投げたら、あとは相手の目を見てじっと返事を待つ。うなずいたり、微笑んだりしない。彼の喋りかたは嫌いじゃなかった。いささか愛想に欠けるきらいはあるが、シンプルでわかりやすい。 「うん、卒業してから会ってないね。ひさしぶり。早く来たんだね」 友竹くんは自分の手のなかのたばこに気づいたらしく、喫煙スペースに引き返した。ぼくは黙ってそれについていった。 「構内を歩いてみたくて。面倒臭くなったな、たばこ吸えないなんて」 「たばこ、吸ってたっけ」ぼくが尋ねる。 「最近吸い始めた。嫌いだったんだけど」友竹くんが答える。 ぼくたちは、同窓会が開かれる創作イタリアンのお店に向かって歩いた。集合時間まで、あと一時間半もあった。お店は大学の入り口から三分ほど歩いた場所にあった。ぼくたちが大学生だった四年間で、蕎麦屋からピザ屋、コーヒーショップと三回もオーナーが変わったいわゆる「呪われた土地」にあるレストランだったけれど、ぼくたちの卒業と同時期にオープンして、今では雑誌に載るような人気店になっていた。 「ご予約のお客様でしょうか」 入り口のドアを開けると、女性が愛想よく尋ねてきた。友竹くんは「してません」と答えた。胸元のネームプレートに、下の名前と「女子大生です」という文字が書かれていた。ぼくだったら、「予約しているといえばしているけれど、大人数で予約したうちの二人で、少し先に来てしまいまして」だのなんだのと言い、困った彼女が店長に相談しに行くところだ。スマートじゃない。「カウンターになりますが、よろしいでしょうか」と聞かれた友竹くんは、「はい」とシンプルに答えた。こうしてぼくたちは、カウンターで二人並んで、先にお酒を飲むことになった。友竹くんは、何をするにも慣れている感じがした。 「それで」席につくなり、ぼくは口火を切った。 「友竹くんは、何をしているの」 彼がどんな仕事をしているのか、ぼくは知らなかった。 「文章を書いてる」おしぼりで手を拭きつつ、うつむきながら彼は答えた。 「文章」ぼくは反復する。こうやって意味もなく言葉を反復するようなことは、友竹くんはしない。 「文章というか、言葉の切り売り。外国語とか、数式とか、専門用語とか、そういうものを、要望にあわせてそれらしく文章にする」 ぼくは彼の言っていることがよくわからなかった。店員がビールを運んで来る。乾杯はしないだろうな、と思った。案の定、友竹くんはごくごくと音をたてて適当にビールを流し込んだ。 「たとえば」彼はそう言うと、カウンター越しに見えるキッチンの壁を指差した。 「あれなんか、それらしく書いているだけで、実は文章になってない」 ぼくは壁に書かれたイタリア語をまじまじと見つめた。オレンジ色のインクで書かれた単語がいくつか並んで、末尾に「!」マークが付いている。その横にワインの瓶が描かれていて、宙に浮いたフォークがパスタを絡め取っている絵も添えられている。 「ああいう文章は、なにが書かれていても、だれも気にしない。ここはアジアの極東に位置する日本だし、店員だって、誰もイタリア語がわからない。そういうことだ。たとえば、駅前に新しくできたパン屋、あの窓ガラスに書かれてるフランス語は、俺が書いてる」 ぼくはそのパン屋を思い出す。都内に何箇所かあって、どれも駅に近いビルの一階に入っていることが多い。それなりに有名なパン屋だ。どの店舗にも同じように、大きなショーウィンドウに、白い文字でフランス語が書かれている。 「あれ、なんて書いてるの」ぼくが尋ねると、友竹くんはにやりと笑った。 「パンは小麦粉と水で作ります。パンは時間が経つと固くなります。クリームパンは日本人が発明しました。そういうことが、わりとめちゃくちゃな文法で書いてある」 ぼくは笑った。友竹くんもうれしそうに笑った。 「最近面白かったのは」友竹くんが続ける。 「アメリカの数学の学会誌の、日本語版のデザインをやってる人から、依頼があったんだ。表紙のデザインを手伝ってほしいって言われた。表紙に、数式が書かれた黒板の写真を使うというので、そこにそれらしく数式を書く必要があった。時間に余裕もあったし、ぼくはそれなりのものを仕上げようと思って、『どんな数式がいいですか』と聞いた。そしたら、『数式なんて誰も確かめないから、適当に書いてくれたらいい』って言うんだ。仮にも学会誌だよ。専門家が読むものなのにさ」 「それで、なんて書いたの」 「オリジナルの数式。相対性理論の資料をいくつか使って。数式のデザインは、なんであれ相対性理論の数式を使えばそれらしく見えると、相場が決まってるんだ。あとは高校生が習うような記号をいくつか使ってね。ただ、俺が作った数式は、イコールの左右がてんであってないんだ。あってないというか、左右で出てくる記号というのが、そもそも使われる分野が違う。全く意味をなさない、ただ見た目にはそれっぽい適当な数式を書かせてもらった」 友竹くんは熱っぽく語った。彼がなにかについて楽しそうに語る様子を、ぼくははじめて見た。左右がイコールで繋がっているのに、ほんとうはイコールじゃない数式。 「それはさ、数学の本当の専門家に頼んで、それらしく書くということはできないのかな」ぼくは友竹くんに聞いてみる。 「鋭い質問だ」ぼくの質問に対して、友竹くんが真顔で答える。 「それがこの業界のカラクリさ。デザインや広告の世界も、効率化が進んでいるんだ。まず、納期の問題がある。ちゃんとした専門家をその都度用意してみろ、引き受けてくれる人を探すのだって大変だし、たかだかデザインの数式だっていうのに、どこまでも正確さにこだわって、いつまでたっても納品物が上がってこない」 ひと呼吸置いて、ビールをぐいと飲む。グラスはほとんど空になっていた。 「金額の交渉だってしなくちゃならない。俺らみたいに、一文字いくらって相場が決まってるわけではないからな。さらに、その筋の専門家っていうのはデザインのことは何も知らない。文法的に正しいイタリア語と、イタ飯屋の壁に書いた時にそれらしく見えるイタリア語は、やっぱり違うんだ。その点俺らは、壊滅的ではない程度の文法知識をもち、あくまでもデザインの専門家だ。それに、死んでも納期を守る」 「それらしく見えるイタリア語って、なんなのかな」 今度の質問には、友竹くんは答えなかった。質問の仕方が的確ではなかったのだろう。ぼくが言いたかったのは、なぜ、いつ、どうやって、ぼくの頭のなかに「それらしく見えるイタリア語」というものが植えつけられたのだろう、ということだった。友竹くんはしばらく黙ってから、今度はぼくの仕事について尋ねた。はじめて一ヶ月ちょっとの小学校事務員の仕事について、なるべくシンプルにまとめて話した。 「あける、子供が好きなのか?」 それについてはいまでもたまに尋ねられるが、当時はまだ正直に答えていた。「ううん、あんまりよく分からない。嫌いではないけど、よく分からない」というように。 「仲良い子供とか、いるのか」 「いない」 「一人も?」友竹くんはビールを飲む。 「いないと思う」 「へえ。そんなものなのか」友竹くんは、のけぞってこちらを見る。 「ぼくは子供とはあんまり接しちゃいけないんだ。ぼくは子供についての教育も受けてないし、あくまで職員で、教員じゃないから」 「でも、毎日子供のことをやってるんだろ、何組の誰がどうとかってさ」 「そういう仕事もあるよ。名前を見ればどの学年のどのクラスか、だいたいわかるようになった。でも、顔と名前は一致してないな」 「まさかお前、子供の顔が全部同じに見えるとかって、いうんじゃないだろうな」 友竹くんがぼくの顔を覗き込む。 「その通りだよ。子供の顔は全部同じに見える」 ぼくが正直に答えると、友竹くんは口を歪めて、厳しい顔をした。 「驚いたな、俺もだよ。なんで子供の顔って、全部同じに見えるんだろうな?」 そんな話をしているうちに、同窓生が集まってきた。それからの会話は、ほとんど記憶に残っていない。ゼミ生はぼくたち以外全員が女子だったので、ぼくも友竹くんも、終始黙っていたのだろう。彼女たちは大手不動産会社の営業担当、大手保険会社の広告担当、大手通信教育会社の経理、などなど、臆することなく名乗ることのできる立派な肩書きを持って集まっていた。ぼくの大学は就職においてはそれなりに優秀だったらしい。いっぽうのぼくは、小学校の事務員という地味な仕事で、その地味な仕事につくのにも彼女たちより二年長くかかっているのであって、どこか引け目というか、話しても分かり合えない感覚があったように思う。それに、彼女たちはゴールデンウィークだというのに、全員が全員、時間に遅れてやって来た。ぼくと友竹くんは、彼女たちが揃うころには酔っ払ってしまって、ほとんど頭が回っていなかった。ふたりとも、あまりお酒に強いほうではなかった。そんなぼくたちに向かって、遅れて来た女の子のひとりは、こんなふうに言った。 「因果応報だからねえ。いま、楽してるかもしれないけど、あとで必ずツケが回ってくるから。人生の幸と不幸は平等だからね。そこの二人。さっきから、みんなの苦労話をへらへら聞いている二人」 本当に言われたのか、酔っ払って変な記憶をしたのか、よくわからない。とりあえず、友竹くんはまったくヘラヘラなんてしていなかったはずだ。彼は人生でヘラヘラという顔を一度もしたことないような人だったから。でも、似たようなことは実際に言われたのだと思う。ぼくはその後、折に触れて彼女の言葉を思い出しては「大変だなあ」と思ったものだ。もちろん、彼女の人生に対する、個人的な感想として。 ぼくはその夜、なかなかに酔っ払って、小山町のアパートまでちゃんと帰れるかどうか怪しかった。飲み会が終わりに近づいたころ、終電はあるのかと聞かれて、今夜はカラオケボックスかネットカフェで寝ると答えると、友竹くんは「彼女が送っていくよ」と言った。どうやらその日は、付き合っている彼女が友竹くんを迎えに来るらしかった。友竹くんは埼玉に住んでいるのに、ぼくが住んでる横浜まで車で送ってもらうのはさすがに迷惑だろうと思って、断った。ここから横浜の小山町まで、道が空いていても一時間以上かかるだろうし、さらにそこから二人が埼玉に戻ると、とても遅い時間になってしまう。「彼女に悪いよ」とぼくが言うと、「その彼女が放っておかないんだよ」と友竹くんは言った。 同級生たちと別れて、駅前のロータリーで彼女を待っていた。そのあいだ、ぼくも友竹くんも何も言わずに、駅前の雑多な色の看板や、酔っ払った学生たちを眺めていた。「あれだ」と友竹くんの声がしてそちらを向くと、地中海でとれるオレンジみたいな色をした、小さな車がこちらに走ってきた。ヘッドライトがぼくたちの顔を照らして、助手席の窓が開いた。 「こんばんは」 友竹くんの彼女は言った。友竹くんの彼女は、とても美人だった。女性としてはかなり身長が高いほうで、青い、体の細い線がよくわかるドレスみたいなワンピースを着ていた。そんな彼女が、運転席から「乗って乗って」と手招きする。ぼくは本当に乗っていいものかとためらいながら、かといって断るような強い意思もなく、少しのあいだ、どうしたものかと固まっていた。そのとき、車のドアが一つしかないことに気がついて、とっさに「これ、どうやって乗るの」と友竹くんに聞いた。ぼくはたまにそういうことをやる。はっきり助けてもらうか、断るかすればいいものを、どうでもいいところに目を向けて、ずるずると、あまり自分の意思ではない感じで人のお世話になったりする。友竹くんは小さく「ああ」と言ってドアを開けて、助手席をバコンと前に倒した。後部座席に乗り込むためのスペースができた。 「すみません、面倒で」彼女が言った。「ツードア車なんてね、いまどきね」 ぼくに続いて、友竹くんも後部座席に乗り込んだ。車はするすると発進した。駅前のいろんな種類のライトが、次から次へと、ぽっかり空いた助手席を照らしていくのを、ぼくは斜め後ろから見ていた。 走り出した方向を見て、いまいちど友竹くんと美人の彼女に、都内の大きなターミナル駅まで送ってくれればじゅうぶんだと伝えたが、美人の彼女は、やはりぼくを小山町のアパートまで送るといって聞かなかった。友竹くんは黙っていた。それでも、彼女の言うことに反対するつもりもなさそうだった。友竹くんは肩掛けのバッグを膝の上に置いて、しゃんと背筋を伸ばして座っていた。 信号が青になって彼女がアクセルを踏むたびに、車はトクトクトクというバイクみたいな軽い音を出した。彼女の運転は、車の免許を持っていないぼくでも分かるくらい、繊細だった。止まったと思えばいつのまにか動き始めていて、動いていると思っていたらいつのまにか止まっている。まるで運転席のタコメーターのかわりに楽譜が置いてあって、それにあわせて楽器の演奏をしているみたいだった。車の運転というのは、こういうふうにもできるのか、と思った。 しばらくすると、友竹くんは眠りはじめた。友竹くんは左手で、ドアの内側の、窓の上にある取っ手のようなものを握っていた。さっそく自分の頭上を見てみると、なるほど、天井と窓のあいだのくぼみに隠れて、目立たないように取っ手がくっついている。普段は邪魔にならないように、折りたたまれているのだ。そっと手をかけて下に引いてみると、意外にしっかりとした質量が感じられた。体勢を整えて再びやわらかく握ってみると、内部にバネの感触がする。手を離すと、時間をかけて折りたたまれて、また元の場所に戻っていった。 「ふふふ、ねえ」 運転席から声がする。バックミラーには、彼女のおでこが写っていた。 「そんなに珍しいかな、グリップが」 ぼくは照れ臭くて、声に出さずに少しだけ笑ったあと、それでは彼女に何も伝わらないと気づいて、「はじめて気づいたんです」と言葉で説明した。 「はじめて? グリップの存在に?」彼女のしゃべりかたは、どこか不器用な感じがした。 「へえ。確かに、知らない人は知らないのかな。べつに、教習所でも説明されないしね。わたしは結構大切だと思うけどな、グリップ」 今度は何も言わずに、ぼくは黙っていた。すると、彼女は気を許したらしく、話を続けた。 「わたしは小さい頃から、車に乗ったら必ずグリップを握ってたよ。車が曲がるときには、グリップを握って、わたしも車と一緒に曲がる方向に体を傾けるの。そうすると、なんだか自分が車を運転してるみたいで楽しかった」 小さな彼女が後部座席に座って、こっそり車を運転しているところを想像した。 「そういえば」ぼくにも似たような思い出がある。 「デパートのベビーカーで、遊具みたいになったやつがありますよね」 「遊具?」 彼女が尋ねる。ぼくは少し時間をとって、説明のための言葉を選ぶ。 「あの、屋根が付いていて、公園の池に浮かんでいる足こぎボートの、白鳥じゃないほうみたいなかたちの」 「ああ、ベビーカーというか、お子様カーのあれね」 必死に説明する様子のぼくを面白がったみたいで、彼女はくすくす笑いながら相槌を打った。 「あの、白鳥じゃないほうみたいな形をした、お母さんが後ろから押すタイプのお子様カー。あれの、子供が握るハンドルがついてるやつ、ありますよね。あれみたいですよね」 「あれみたい」彼女はただ反復する。 「あれって、座っている子供は、ハンドルを握って、自分がお子様カーを運転してると思ってるじゃないですか」 「そうなの?」 「ぼくはそうでした」急に自信がなくなる。 「ある日突然、ほんとうは後ろにいるお母さんが方向を決めていて、自分が握っているハンドルはただの飾りだってことに、気づいたんです」 「それっていつのこと?」 「三歳か、四歳くらいだと思います」 「三歳か四歳で、気付いちゃったんだ」 「いや、わからないです、五歳か六歳かな」 「いずれにせよ」彼女はごにょごにょ言うぼくを制止するように言った。 「それは、なんていうか、とても辛いね。それってさ、意味ないのかな」 「意味ですか」 「意味のないハンドルを握る意味だよ。小さな子供に『そのハンドルは意味ないから握らなくていいよ』って教えても、たぶんまた握ると思うんだよね」 「まあ、そうですよね。ぼくも握り続けましたから、ハンドルを」 「うん、だって、わたし、今三十二だけどさ、いまだに後部座席に座ったら、グリップ握るもん。グリップ握って、傾けるよ、体、左右に。意味なくても、そこにハンドルがあったら握りたいんじゃないかなあ」 ふと隣を見た。友竹くんは寝息を立てていたが、背筋を伸ばして、なおもグリップを握っていた。彼はどうして寝ながらグリップを握っているのだろうか。 「どうして、友竹くんは助手席に座らないんですか?」 ぼくは聞いてみた。友竹くんがなにか反応するかと思ったけれど、彼は眠ったままだった。 「友竹くん、車が怖いのよ」 優しい声だった。 「ふたりきりのデートでも、助手席には座らないの。変わってるでしょう」 「なんで怖いんですか」 「さあ。前に言ってたのは、昔、父親が運転する車に乗るのが、怖かったって」 「事故とか」 「彼自身の小さい頃にね、事故とかは、とくになかったみたいだけど。友竹くん、自分が宝くじに当たることはないって信じてるから、宝くじは買わないの。でも、自分が交通事故にあうことは信じてる。ふつう、逆じゃない? 自分が交通事故にあうのを信じないで、自分が宝くじに当たることを信じるものじゃない? そこのところがおかしいの、友竹くんは」 彼女はそんな話をしながら、なぜかとても嬉しそうに笑っていた。その笑い声を聞きながら、ぼくは眠ってしまった。 目が覚めたのは、薄暗い玄関の、固いフローリングの上だった。身体の右半分を下にしたまま、寝返りも打たずに眠っていたらしく、全身の関節が左右アンバランスに悲鳴をあげていた。アルコールによって筋肉がなまけたせいで、血管もだらんと右側に弛んでしまったような感じがした。数千年の眠りから覚めたミイラのように、ぼくはもぞもぞと身体を動かした。酔っ払って床で眠るなんていうことは、それまでの人生で経験したことがなかった。目が覚めた瞬間に、もう二度とこんなヘマはしないぞ、と心に誓った。 天井には見覚えのあるセンサー式の電灯が付いていた。ただし、ぼくが動いても灯りがつくことはなかった。そしてぼくは、すぐに人の気配に気づいた。部屋の奥に誰かがいる。きっと友竹くんか、友竹くんの彼女だろうと思った。 立ち上がろうとして壁に手をついたとき、目の前の光景に違和感があった。自分の部屋のはずなのに、洗濯機と、冷蔵庫の色が変だった。光の量が足りないのもあって、頭のなかで「光の加減によってはこう見える日もあるのだ」と一度は納得したが、立ち上がったところで今度は洗濯機のデザインが全く違うことに気がついた。古い型の洗濯機が、横から投げ込むタイプの新しい洗濯機に変わっていた。母親が勝手に買い換えたのだろうか。半年前か一年前だったか、洗濯機の調子が悪い、と話したことがある。 しばらく頭の中でぐるぐると考えていたが、ある時点で急に事態が明らかになった。ぼくは他人の部屋に上がり込んでしまったのだ。天井に設置されたLEDの、動きを認識するセンサーが反応しない時点で、ここが他人の部屋であることを疑うべきだった。ぼくはそのセンサーのスイッチを、いつもオンにしていたのだから。友竹くんとその彼女が勝手にぼくの部屋に居座っているはずもないし、洗濯機も冷蔵庫も別物だし、母親は合鍵を持っていなかった。持っていたとしても勝手に洗濯機を入れ替えるわけがない。電子レンジを買いに出かけて、オーブンを買ってきたほどの、家電音痴の母親だ。 ぼくのアパートは、どの部屋も同じ間取りになっていて、玄関を開けるとまっすぐ廊下が伸びている。玄関のすぐそばに備え付けの下駄箱があって、その横に洗濯機と冷蔵庫を置くスペースがある。左手には廊下がへこんだ場所に洗面所があって、トイレと風呂が向かい合って独立している。廊下を突き当たるとドアがあって、開けると八畳のリビングがある。リビングには、南向きの大きな窓がある。 ぼくは廊下からリビングを見て、それが自分の部屋でないことをいまいちご確信した。ベッドがないし、カーテンの色がオレンジだ。ぼくはなんだか、とても恐ろしいことをしている気分になった。背中がじっとりと濡れていた。リビングから、暖房のあたたかな風が流れてきた。ゆっくりあとずさりして、音を立てないように注意しながら、玄関の扉を開けて、外に出た。 アパートは四階建てで、ぼくの部屋は三階だった。共有スペースの廊下に立って外を眺めると、どうやらそこは二階らしかった。考えてみると、二階の廊下に来たのは初めてだった。ぼくが間違って侵入したのは、どうやらぼくの真下の部屋だったらしく、見える景色は少しだけ目線が低かった。それだけで全く違う場所に来たような感じがした。二階の廊下には傘や自転車が出してあって、ぼくが所属している三階よりずいぶん自由な感じがした。ぼくは階段を昇るか降りるか迷った。アパートにエレベーターはなくて、住人は全員、ひとつしかない階段を使っていた。三階の自分の部屋に戻るためには、もちろん階段を登る必要があった。しかし、いままで自分が勝手に上がり込んでいた部屋の、すぐ真上に戻るというのは、何か不吉というか、よくない予感がした。階下から、誰かがぼくの足音に耳を澄ましているかもしれない。 とりあえず、友竹くんに電話をしようと思った。携帯電話の電話帳を検索しながら、ぼくは階段をいつもより余計に上がって、三階と四階のあいだの踊り場に移動した。二回コール音を鳴らすと、すぐに友竹くんが電話に出た。 「もしもし。あける、大丈夫か」 電話の友竹くんは、直接話すよりトーンが明るく、親しみやすい印象があった。 「いま、目が覚めたら別の部屋にいたんだ。昨日はありがとう。送ってもらってしまって」 友竹くんは少しのあいだ黙っていた。 「おう、ちゃんと目が覚めて、よかったよ」 「ぼく、目が覚めたら別の部屋にいたんだ。昨日の夜って、友竹くんと彼女に送ってもらったよね」 ぼくがそう言うと、友竹くんは怪訝そうな声を出した。 「それはなんだ、別の部屋っていうのは。あけるの部屋じゃない場所、ということか」 「そう。ぼくは三〇二号室なんだ。たぶん、間違って二〇二号室に帰って来たみたいだ」 友竹くんは黙っていた。 「昨夜のこと、全く覚えてないんだけどさ、ぼく、どうして二〇二号室に帰ったんだろう」 「それは、お前が二〇二って言ったからじゃないか」友竹くんは怒っているわけではなかった。どちらかというと、友竹くんのほうが狐につままれているような反応だった。 「あのな」と友竹くんは言った。「二〇二号室まで、俺と風子さんが肩をとって、お前を運んだだろ。お前、足にろくに力が入ってないような感じだったからさ、あんな急な階段、いまどきないぜ。はっきり覚えてるよ、お前は二〇二号室に帰って行った。お前が住んでるのが三階や四階じゃなくて俺は感謝したんだ」 「鍵は開いていた?」ぼくが尋ねる。 「開いていたもなにも、おまえ、中から彼女が開けてくれただろ」 「彼女?」 「そうだ、彼女に聞けばいいだろ。それとも、彼女も一緒に別の部屋にワープしたのか?」 「ちょっとまって、彼女って誰だ」 「お前の彼女だろ。なんで俺の彼女が、おまえの部屋の鍵を中から開けてくれるんだよ。引田天功かよ」 友竹くんの饒舌を気にかけていられないほど、ぼくは動揺していた。 「ぼくは彼女なんていない。一人で住んでる。誰だよ、その彼女っていうのは」 「おまえ、頭大丈夫か」 「大丈夫って、なにが」 「つまり、今のお前は、正常なのか? 酔いは覚めたのか?」 「覚めた、と思う」 「本当は絶対に覚めたっていう確証をもらってからのほうが話が早いんだろうけど、まあいい。つまりお前は、自分の部屋じゃない場所で目が覚めた。二〇二号室の、玄関で?」 「うん、玄関で」 「そうだろうな。お前の彼女が、そこに寝かせておいてください、って言ったから、そうしたんだぞ」そこまで話すと、電話口でがさごそという音がした。もしもし、と言うと、女の人の声が返ってきた。友竹くんの彼女、風子さんだった。 「もしもし、あけるくん? 聞いてたよ、いまの話。わたしはね、じつは少し様子がおかしいとおもったの、昨日」 風子さんは、ぼくのことをちゃんと心配してくれているらしかった。 「最初、車を降りてすぐ、あけるくんは三〇二号室って言ったのよ。それなのに階段を上る途中で、二〇二、二〇二っていうものだから、私、確認したの。二〇二号室ね、あけるくんの家は、って」 ぼくはどうも記憶がはっきりしないもので、黙って聞いていた。 「部屋の前に着いてからもね、あけるくん、鍵は持ってないって言ったでしょ。もちろんそんなわけないだろうと思って、わたしはドアノブを回したのね、そしたらやっぱり鍵がかかってたから、あけるくんに鍵はどこにあるの、って聞いたの。あけるくんはまだぼんやりしてたから、リュックを勝手に開けさせてもらったよね。そしたら、鍵を探してる間に、彼女が中から扉を開けてくれたのよ」 ぼくはなにも覚えていなかったけれど、言われてみるとそうだったような気がしてきた。 「わたし、その時もおかしいと思ったの。あけるくんの彼女にしては若すぎるでしょう。それに、あけるくんが酔っ払って帰ったからって、あんなに目を丸くして驚くことはないって思った」 そこまで話すと、風子さんは言葉を止めた。 「それで、その二〇二号室の女の人は、なんて言ったんですか。どうしてぼくのことを知らないって言わなかったんでしょうか」 「わからないけれど、彼女はまず『ありがとうございます』って言ったわよ」 「ありがとうございます」ぼくは繰り返した。 「介抱してくださって、ありがとうございます、っていう意味なんじゃない。少なくともわたしはそう思った。それで、ああ、あけるくんの彼女なんだ、って直感的に思ったの」 「それから、そのひとは『玄関に寝かせておいてください』って言ったんですね」 「うん。私と友竹くんは、ベッドまで運んであげようと思ったのよ。でも、あけるくんの彼女が困ったような顔をしてたから、急だったし、無理に上り込むのもよくないかなあと思って、とりあえずあけるくんを玄関に寝かせたの。それで、帰った」 「失礼します、みたいな感じでですか」 「うん、最後は普通に、違和感なく。わたしたちは、あけるくんの彼女ってあんな感じなんだねって話しながら車に戻って、埼玉に帰って来たの」 ぼくは頭の中を整理していた。風子さんの話が、まるで砂漠に染み込む雨水のように、ぼくの頭に入ってきた。それ以外に選択肢がないので、ぼくは風子さんの言うことを信じないわけにはいかなかった。ぼくはどうして、じぶんの部屋を二〇二号室だと言ったのだろう。他の場所で二〇二号室に住んだこともなければ、二〇二という数字にも特に覚えはなかった。 「ねえ、あけるくん。実はわたしたち、まだ寝てないの。帰りの道が渋滞して、ついさっき帰って来たばかりだから。いったん眠るね」 「あ、すみません。そうですよね」 「とりあえず、あけるくんは勝手に他人の部屋に上がり込んだわけではないわよ。少なくとも、許可を得て入れてもらったわけだから、心配しなくていいと思う。あけるくん、鍵は見つかった?」 「鍵、ですか」ぼくはゴールデンウィークの未明の朝に、道路が渋滞することがあるのだろうか、と考えてぼんやりしていた。どこかで事故かなにかがあったのかもしれない。 「あけるくんの、三〇二号室の鍵よ」 ぼくはリュックサックを開いて、鍵を探した。いつもは外側の小さなポケットに入れているはずの鍵が見当たらない。念のため、財布や上着を入れている大きなポケットを開いてみても、やはりない。ズボンのポケットにもない。 「ないです」 「あら。それじゃあ三〇二号室にも戻れないのね。どうしたらいいのかしら」 「困りましたけど、見つからなかったら、いったん実家に帰ります」 「ああ、実家、近いんだ。それならいいね。わたしも今から車の中、探してみるね。見つかったら連絡するから」 風子さんとの電話が切れて、ぼくはしばらく踊り場から外の景色を眺めていた。舗装された用水路と、そのむこうに小高い丘が見える。長く住んでいたアパートなのに、本当にぼくはこんな場所に住んでいたのか、疑わしい気がした。 五分ほど待っても電話がかかってこないので、ぼくは鍵のことを諦めて、これからどうするべきか考えた。バスと電車に乗って、一時間半かけて実家に帰る以外に、選択肢はないだろうか。おそらくそうするべきだと思いつつ、ぼくは二〇二号室のことを考えていた。二〇二号室の住人は、どうしてぼくのことを追い払わなかったのだろう。彼女は、ぼくが三〇二号室の住人だと知りながら、かわいそうだからとりあえず玄関に寝かせてくれたのか。そうだとしたら、ぼくは彼女にお礼を言わなければならない。上の部屋の住人であるぼくは、人の気配を感じたり、生活音が聞こえてくるたびに、なんとなく二〇二号室の住人が女性であるような感じを覚えていた。もちろん、変にお礼など言わない方がいいのではないか、という気持ちもあった。二階と三階という鏡合わせの関係にある、近くの他人のことを知りすぎると、お互いにあまりいい気分はしないのではないか、とも思った。 迷いながら、結局ぼくは二〇二号室を訪れることにした。常識的に考えて、入れてもらった部屋を勝手に出てそれっきりというのも失礼だろうし、いちどぼくを部屋にあげたということは、いまさらぼくを拒絶するようなことはないように思われた。ぼくは二〇二号室の前に戻って、大きく深呼吸をしてからチャイムを鳴らした。 ☆ 最後にちゃんと伝言ゲームをしたのは、小学四年生のときだった。担任の先生が村田先生だったので、間違いない。その日は台風のせいで、体育の授業が室内レクリエーションに変更になった。べつに運動をするわけでもないのに、教室の全員が体操服に着替えていて、何人かは赤白帽までかぶっていた。 机の並びで、列ごとにチームを組んだ。ぼくは真ん中あたりの列の、うしろから二番目の席に座っていた。教室は薄暗く、机の両側にはごちゃごちゃと道具袋や給食袋がぶらさがって、通路を塞いでいた。先生が伝言する文章を決めて、いちばん後ろに座った六人に、おなじ内容のメモ紙を渡した。スタートの合図にあわせて、うしろから順番に、ひそひそ声で前に伝言が送られていく。先頭に伝わった文章が、先生が作った文章といちばん近かったチームが勝ち、というルールだった。 その伝言ゲームで勝ったのか、負けたのか、今となっては全く覚えていないし、そのときは伝言ゲームというものについて、とくに感想も持たなかった。記憶が伝言ゲームに似ていると気づいたのは、それからずいぶんあとになってからのことだ。記憶が伝言ゲームに似ているというのは、主にその不確かさにおいてである。ぼくが脳内で繰り返しなぞってきたあの年のゴールデンウィークの出来事は、何年も忘れていたかと思えば、一ヶ月のうちに何度も思い出したこともある。ぼくは思い出しのたびに、直前のぼくからなるべく正確に話を聞き出そうとしてきたし、直前のぼくも、最新のぼくになるべく正確に話を伝えようとしてきた。そうして過去のぼくが繋いできたリレーの先頭に、いまのぼくがいる。いまのぼくのなかにある、あの出来事の記憶は、たくさんのぼくたちの伝言ゲームを経て、もとの出来事そのものとはすでに大きく異なっているかもしれない。 ぼくがまだ大学生だった頃のことだ。ぼくはある女性とふたりで、高田馬場駅の近くにあるカフェで向かい合って座っていた。朝の早い時間で、彼女はブラックコーヒーを注文して、ぼくはオレンジジュースを飲んでいた。クロワッサンが美味しいお店だったけれど、どちらもクロワッサンは食べていなかったと思う。彼女はときおり思い出したようにカップを口によせて、眉間にしわを寄せながらコーヒーをすすった。まるで、現実が自分の目の前にあることを確かめる儀式みたいだった。 彼女は、とある喫茶店の話をした。彼女がその喫茶店の存在に初めて気がついたのは、およそ半年前のことだったらしい。満員の通勤電車のなかで、ヤモリみたくドアの窓に押し付けられているところに、喫茶店のテラス席が目の前を通り過ぎた。それは朝の光に包まれて、幸せの象徴みたいに存在していた、と彼女は言った。彼女は毎朝、満員電車のなかから、その喫茶店と真っ白なテラス席を眺めるのが習慣になっていた。彼女は都内の小さな広告会社に勤めていて、大学生のぼくより五つ年上だった。 ある月曜日の朝、前から気になっていたその喫茶店でモーニングを食べるために、彼女は少しだけ早起きをした。電車に乗らず、家から歩いて喫茶店まで向かった。電車の線路と平行に、背の高い木々に囲まれた気持ちのいい遊歩道が伸びていて、そこを歩いた。冬の朝の空気は冷たくて、吐く息が白くなってすぐに消えた。電車の中から見えた喫茶店は、白くて小さな一軒家で、庭に小さな畑があった。ベランダに、丸いテーブルがひとつだけ置いてあって、腰のあたりが丸くふくらんだ、座り心地の良さそうな椅子が二つ、テーブルをはさんで向かい合っていた。彼女はそれが喫茶店だと信じて疑わなかった。 遊歩道の両側には、たくさんの家が並んでいた。遊歩道から通路が伸びて、それぞれの家の勝手口らしい扉に繋がっている。一軒ずつ、看板らしいものがないかどうか、確認をしながら歩いた。自家製のジャムを売っているお店と、バレエ教室の看板を見つけた。彼女はふと、自分も昔、バレエをやっていたな、と思い出した。当時は小学生で、週に一度のレッスンが大嫌いだった。大人になってからは、もっと工夫して楽しく踊ればよかったな、と後悔した。 彼女はふと、あの喫茶店はモーニングをやっているだろうかと思った。これまで、ベランダに誰かが座って食事をしているところを見たことがなかった。そのとき、都心に向かって走る電車の、賑やかな音が聞こえてきた。音の方向は見晴らしのよい駐車場になっていて、フェンスの向こうにはっきりと電車を見ることができた。水平線近くの、冬の朝の弱々しい太陽を隠して、電車の中にはたくさんの黒い影が押し込められていた。十両編成のすべての車両が長い時間をかけて通り過ぎると、線路のはるか向こうにある太陽が、ふたたび彼女の頬を照らした。 そのとき彼女は、自分はもう電車に乗らなくていいのだ、と思った。穏やかな気持ちが胸の中にあふれた。電車に乗ってどこか遠くへ行く必要はない。自分は死ぬまで、この町で生きるのだ。そこは都心とベッドタウンのあいだにある、静かな町だった。 ゆっくりと、朝の空気を吸い込みながら歩いた。ベージュのコートに、紺色のマフラーを巻いていたと、彼女を見かけた人たちは話した。それはとても寒い朝だったせいで、コートを着込んでいた彼女のシルエットはよくわからなかったが、黒いタイツの脚が細くて小柄な女性だったと、信号待ちをしていた女性は話した。てっぺんに丸い玉のついたニットの帽子を被っていたが、誰もそれについては話さなかった。 彼女は、遮断機が降りた踏切の中に入り込んだ。駅のすぐ脇にある、車通りの多い踏切だった。七時十一分の通勤快速は、彼女の家の最寄り駅を出たあとは一度も停まらずに都内のターミナル駅へ向かう電車で、運転手は朝の光に包まれて立っていた彼女に衝突の寸前まで気づかなかった。彼女が死のうと思って踏切に入ったのか、それとも、たまたまぼんやりしていたのか、警察を含めて誰もわからなかった。 あるいは、これはぼくだけが想像しうることだが、彼女は、夢で見た喫茶店の扉を開けて、朝の光が差し込む店内を眺めていたのかもしれない。彼女が足を踏み入れたのは踏切のなかであり、喫茶店のなかであり、彼女自身の想像のなかだったのかもしれない。 その事故が起きたのはいつのことなのか、ぼくは正確には覚えていない。ぼくは確かに、その記事の切り抜きを大学の図書館で読んだ。そしてどうやら、彼女はその前後に、クロワッサン・カフェで実際にぼくと会ってそのことを話してくれた。生きていてとても辛いということ、春に入った会社を辞めたこと、実家には帰れないので、いま住んでいる町で死ぬまで生きる、ということ。彼女の出身は札幌だった。そして、その日の朝に起きた出来事。朝の光のなかで、身体がばらばらになることについて。 ぼくは、彼女についてのこの記憶が相当おかしなことになっていると、自分でもよく分かっている。記憶というより、どうしてぼくが彼女と直接会って話すことになったのか、そのいきさつについても曖昧な部分が多い。彼女と会うまでの経緯について、全く説明ができないわけではない。いくつかの実現可能なルートを、ぼくは頭の中でシミュレートしたし、実際のところそれを披露することもできると思う。でも、そういうことはしたくない。それはもはや記憶ではなく、後付けの推測に過ぎないからだ。 いずれにせよ、そういう出来事は、よくあることではないにしても、誰にでも起こりうることだと思う。難しいのは、曖昧な出来事を、曖昧なまま記憶しておくことだ。少しでも奇妙な部分のあるできごとは、いずれ過去に吸い込まれて、その非現実性は、記憶のあやしいベールのせいにされてしまう。だから、何が本当で何が本当じゃないかとか、そういうことは話したくない。そんなことを話しても、意味はないように思う。 ☆ ぼくは二〇二号室に戻って、チャイムを鳴らした。ピン、ポン、という乾いた音が、かすかに外まで漏れてくる。 返事がない。扉の向こうの気配に、耳をすませる。誰かがいるような気がする。ドアノブに手をかけて、ゆっくりと引く。やはり鍵は閉まっていない。三〇二号室よりも扉が重い気がした。 「すみません」 扉の隙間から投げかけたぼくの声は、しんとした部屋のなかに吸い込まれた。廊下のあかりは消されていて、奥のリビングでは閉め切られたカーテン越しに、朝の太陽がほとんど白黒の弱い光を投げかけていた。閉まりかけた扉を風が通り抜けて、小さくひゅう、と音を立てた。扉が閉まると、部屋の中は妙にしんとした。 玄関には靴が一足も置かれていなかった。念のために靴を揃えて、ゆっくりと廊下を進んだ。間取りは完全に頭の中に入っている。ぼくの部屋と同じなのだから当然だ。やはり部屋の奥には誰かがいるような気がしたが、その気配がただのエアコンの温風なのか、人間が発している気配のようなものなのか、よくわからなかった。廊下が終わってリビングに入るところで、ぼくは立ち止まった。呼吸を整えて、リビングに足を踏み入れた。その時だった。視界の片隅で、なにかが動いた。ぼくは驚いて、脇を締めて顎を引いた。とっさに、屈むか、身を引くかしたようで、ぼくの頭部を狙ったらしい物体は耳の横をかすめて、床に叩きつけられた。ごん、と鈍い音がして、キャンドルが転がっているのが見えた。白濁色の、五百ミリのペットボトルくらいの大きさのキャンドルだった。ようやくぼくは顔を上げて、暴力をふるった本人を見つけた。 はじめて見る顔だった。とろんと眠そうな目をして、短い髪にパーマがかかっていた。黒くうねっている髪の毛は、むかしの日本画に出てくる海の波みたいに見えた。顔の色が陶器みたいに白く、そのせいでほくろが目立つ顔をしていた。ぼくに振り下ろしたキャンドルが手を離れたままのポーズで立っていたから、彼女はまるで、都会育ちの娘がはじめて畑の大根を引き抜こうとしたときのように、不恰好に腰を落として立っていた。そして、どう見てもぼくよりかなり年下だった。高校生か、ひょっとすると中学生かもしれなかった。 「これは正当防衛ですよね」彼女は上目遣いでこちらを見ながら言った。 「そうだと思う」 ぼくはとっさに答えた。 「目が覚めたんですね」 彼女はぼくのことを心配するように言った。いや、それほど心配していなかったかもしれない。お世辞とも、本音ともつかない曖昧なニュアンスだった。ぼくはその言葉の意味がすぐには理解できず、しばらくのあいだ固まった。正直に言うと、その子の個性的な容姿が、ぼくの視線と意識の両方を奪ってしまっていた。ぼくは彼女のあどけない表情と、ノースリーブから伸びた細くて長い腕を、ひとつの絵画のようにぼんやり見ていた。ようやくわれに返ると、ぼくはあわててお詫びの言葉を思いついた。 「昨晩はご迷惑をおかけして、すみませんでした。間違って、二階に帰ってきてしまったみたいで。そっとしておいていただいて、ありがとうございました」 ぼくは息もつかずに言い切った。彼女はぼくの言ったことを理解したのかしていないのか、宙を見るようにこちらを見ていた。ぼくは彼女のほくろのひとつを見ていた。 「いえ」彼女はそう言った。そして、「わたしはこの部屋の人間ではありませんから」と言い添えた。 ぼくはその言葉を聞いて、納得した。それにはちゃんと理由があった。ぼくはすでに五年以上、そのアパートの三〇二号室に住んでいた。最初の一年間だけ、下の部屋には男の人が住んでいた。のしのし歩いて、冷蔵庫のドアすら大きな音でバタンと閉めて、夏の夜には窓を開けたまま、健康的ないびきをアパートじゅうに響かせていた男だ。その彼と入れ替わりで入居してきたのは女の人で、それからずっと二〇二号室に住んでいた。二〇二号室の住人について、ぼくは顔を見たわけではない。それでも、彼女のイメージがぼくのなかでなんとなく出来上がっていた。足音のタイミング、扉の閉め方、なにかが落ちる音、そういったものが積み重なると、その人のことがなんとなくわかるのだ。ジグソーパズルで、足りないピースが作るひとつのかたちみたいに、それはある意味でとてもはっきりしていた。目の前の彼女は、どう回転させてみても、そのかたちにあてはまることはなさそうだった。 「そうすると、あなたは誰ですか。この部屋の住人の、妹とか」 「違います」彼女は表情を変えずに答えた。 「じゃあ、泥棒?」 彼女は黙った。 「まあ、どちらかというと泥棒に近いかもしれません」 彼女はぼくを殴るのに失敗して床に転がったキャンドルを拾って、テレビ台の上に置いた。どうやらもともと、その場所に置いてあったらしい。 「あけるさんとわたしは同じ立場です。ふたりとも、平等に、他人の部屋に、無断に上がり込んでいるのです」 彼女は言葉をぷつぷつと切って、強調するように言った。平等に、他人の部屋に、無断で上がり込んでいる。 「わたしは、おとといの夜からこの部屋にいます。名前は」そこまで話すと彼女は、眉間にしわを寄せて、ぼくの目を覗き込んだ。 「名前まで言う必要がありますか?」 「いいよ、言わなくて」ぼくは遠慮して言った。彼女はぼくの名前を知っていたので、フェアではない気がしたが、まあいい。名前を知ったところで、何がどうなるというわけではないのだ。 「それより、この部屋の人が帰ってくる可能性はないんですか? そうなったらぼくたち、二人ともやばい気がするんだけど」 「大丈夫です、この部屋の人は、もう帰って来ません」 彼女は堂々と宣言すると、白いビニール張りのソファにどかりと腰を落とした。ソファーはバフという音を立てて、その反発で華奢な彼女が少しだけ宙に浮いた。その音を聞いた誰かが、今すぐにでもこの部屋に飛び込んで来るような気がして、ぼくはどきりとした。彼女は意図していなかっただろうけど、その軽率な行動は、彼女がその部屋にとても馴染んでいることを感じさせた。まるで、何年も前からこの部屋に住んでいるような感じがした。 「この部屋の住人は、ここには帰って来ないです」 彼女は気を取り直すように、さきほどより強めに断言した。ぼくはその言葉の意味がよくわからなかった。 「つまり、この部屋の住人は君の知り合いで」 「いえ、他人です」 彼女はぼくの話を遮って言った。 「でも、ただわかるんです」 曖昧なことを言われて、ぼくは困ってしまった。でも、彼女も彼女なりに困っているように見えた。 「この部屋の人のことは、一度も見たことがありません。わたしはただ、この部屋が持ち主を失ったことを知っている、それだけです」 「どうやって、そのことを知ったの」 「わたしは、この部屋のことならわかります。この部屋は、すでに住人を失っているのです。それはわたしにとって、とてもわかりやすく、疑いようのないことです。しかし、その住人がどういう理由でこの部屋を出て、今どこにいるのか、そういうことはわかりません」 彼女は目線で隣に座ることをすすめてくれたが、ぼくは無言でそれを断った。ソファーでくつろぐまでの余裕はなかったので、やたらとモコモコしたカーペットにあぐらをかいて座って、彼女を見ていた。彼女の言い分をまとめると、彼女はなんらかの理由で、この部屋が住人を失ったことを知った。住人の動向を観察したわけではなく、部屋そのもののあり方として、それを知ったのだ。なんだかよくわからないが、彼女が言いたいのはそういうことだろう。 「ゴールデンウィーク」ぼくは言った。「ゴールデンウィークの、まんなかだね、いまは」 「そうですね」 彼女は答えた。 「だとしたら、一時的に、たとえば実家に帰省してるっていう可能性はないのかな。それとも、旅行とか」 「だから、それはありません。この部屋をよく見てください」 彼女はソファの上に仁王立ちになった。彼女の細い脚が目に入った。両腕を上に伸ばして、天井に触れた。ぼくもつられてカーペットの上に立った。ぐるりと見回した八畳の部屋は、ぼくの部屋と同じ間取りで成立しているとは思えないほど清潔感があって、お洒落だった。まず、オレンジ色のカーテンが、部屋全体を穏やかな色で包んでいた。ぼくの部屋にはベッドがあるが、彼女の部屋にはベッドがなかった。ソファーとテレビ台のほかには、ファーがほんの少しだけ束になりはじめているカーペットの上に、ガラスでできたローテーブルが置いてあった。ぼくの部屋に比べると、明らかに生活感が足りない。待合室や応接室みたいだと思った。これでは眠る場所がソファーしかない。冷蔵庫のサーモスタットがブン、と音を立てた。 「冷蔵庫」とぼくは言った。冷蔵庫は続けてブーン、と小さな低音を立てて、生活に必要な食材を冷やしていた。彼女は黙っていた。 「この部屋の持ち主はどこに行ったんでしょう」ぼくが尋ねた。もちろん、彼女はその問いに答えなかった。 「彼女のことを、探しに行きませんか」 どうしてそんなことを口走ったのか、自分でもよくわからない。この部屋に勝手に上がり込んだ理由が欲しかったのかもしれないし、単に気まずさからそんな提案をしたのかもしれない。 「彼女というのは、ワタナベチカさんのことですか」 ワタナベチカ。その名前がこの部屋の住人であることは、ぼくにはすぐにわかった。 「そのワタナベさんが本当にこの部屋からいなくなったんだとしたら、それは事件だと思うんです。こんなふうに生活の途中で急にいなくなることが、普通のことだとは思えないから」 ぼくがそう言うと、彼女はこちらを見てクスクスと笑いだした。ぼくを見て、「すみません」と彼女は謝った。思わず笑ってしまったことを、素直に謝っているようだった。頬にかかった髪をかきあげると、彼女の白い脇が見えた。 「ところで、どうしてあけるさんは、彼女がいなくなった原因が、事件だと思うのでしょうか。ワタナベチカがいなくなったのが急なことかどうかは、わかりません。この部屋を出て行って、もう戻らないと決めたのは、ワタナベチカ自身の意志かもしれません。それについて、何ヶ月も準備をしていたのかもしれませんよ」 ぼくは、目につく範囲でワタナベチカに関する手がかりを探した。彼女は、ソファーに腰を下ろして、何かを考えているようだった。ぼくは声に出さないようにして、目につくところをぐるぐると見て回った。引き出しの奥やソファーの後ろをさぐるようなことはしなかった。手がかりは隠されているのではなく、目につく範囲にあるような気がした。ワタナベチカの部屋には、あまり物がなかった。テレビとテレビチェスト、ソファーとエアコンとカーペットとローテーブルのほかには、備え付けのクローゼットくらいのものだった。パソコンやプリンター、インターネットのルーターは見つからなかったし、掃除機や本棚や物干し台もなかった。カレンダーや壁掛け時計もなかった。 リビングとキッチンを仕切るようなかたちで、ぼくの部屋と同じように幅が二十センチほどの細長いキッチンカウンターがあって、そこにブレスレットや髪留めや日焼け止めクリームなどがわりと乱雑に散らばっていた。彼女の生活はその二十センチの幅の上に凝縮されているようだった。千円札が何枚か、それに小銭もあった。電気代の請求書が、未払いのまま残されていた。コンビニや郵便局でお支払いください、と書かれている。クレジット払いや自動引き落としにはしていないらしい。裏返しに置かれた腕時計があって、そっと裏返すと四角い盤面にHAMILTONという文字があった。ブランドに疎いぼくには馴染みのない名前だったけれど、ハミルトン、とそのまま読んだ。 もし仮に、ワタナベチカが本当にこの部屋を自分の意思で出て行ったのだとしたら、遅かれ早かれ警察や家族や管理人など、なんらかの他人がこの部屋にあがることを予測できたはずだ。それなのにこの部屋には、誰かに見られることを予想したようには見えなかった。 薄暗いキッチンに入った。キッチン用具はひとつもなく、見捨てられた砂漠の都市みたいに干からびていた。シンクのレバーを恐る恐る引き上げてみると、流し台の下からボコ、グフ、という気分の悪そうな音がしたので、慌てて元に戻した。ぼくは朝の光を求めてリビングに戻った。 「わたしはワタナベチカを探しに行きません」 ソファに腰を沈めて、壁に投げつけるみたいに言った。駄々をこねても仕方がないので、ぼくはとりあえず頷いた。すると彼女は、無言で右手を差し出した。 「今朝、廊下に落ちてました」 開かれた手のひらから落ちてきたのは、三〇二号室の鍵だった。そのまま冷蔵庫のほうに歩いて行って、扉を開けて牛乳を取り出して、紙パックに口をつけて飲んだ。ぼくは三〇二号室の鍵をじっと見つめていた。 彼女は口元の牛乳を拭って、静かに話し始めた。 「世界のほとんどは立入禁止になっています。わたしたちは、無数の立入禁止に囲まれて生活しています。たとえば、アパートの隣人の部屋、住宅街にひっそりと佇む変電所、二年前に潰れたままの喫茶店、真夜中の埠頭、古い井戸の底、コンビニのレジの向こう側、そして、遮断機が降りた踏切のなか。そういう場所には、入ることができません。パスポートもチケットも存在しないし、ガイドブックも売っていません」 ぼくはすぐに二〇二号室を出た。そのまま階段を上がって、三〇二号室の扉に鍵を差し込んだ。彼女に手渡されたとき、心なしか奇妙に見えたその鍵は、しっかりと鍵穴にフィットして、扉が開いた。そこにはいつものぼくの部屋があった。廊下にはチラシやダンボールがちらばっていて、壊れかけた洗濯機とうるさい冷蔵庫があって、水道管工事の広告マグネットがぺたぺたと貼られていた。前の日の昼にコンビニで買ったまま食べていなかった冷やしとろろそばを食べて、歯磨きをして、シャワーを浴びて、ベッドの上に仰向けになった。ちょうどこの真下に、ワタナベチカの部屋があって、すこし前まで自分がそこに立っていたと思うと、不思議な気持ちになった。そのままぼくは眠ってしまった。自分の匂いが染み込んだベッドはやはり快適で、ぼくは全身が気だるさでいっぱいになるまで、長い時間をかけて眠った。 その日の夕方に、ぼくはもういちど二〇二号室のチャイムを鳴らした気がする。その後の記憶がないということは、誰も出なかったのだろう。それからぼくはまた日常に戻った。しばらくは下の階に変わった様子がないか気にしていたが、警察が来る気配もなく、管理会社が張り紙を出すこともなく、部屋からなにかが運び出されるようなこともなかった。ゴールデンウィークが明けて仕事が始まって、忙しくなって、夏がきたころには二〇二号室を気にすることもなくなった。二〇二号室はぼくの部屋ではないし、なかに入り込むことはもちろん、外から覗き込むことも許されていない。考えてみると、ほんの数メートル下にある二〇二号室へ行くことは、地球の裏側に行くよりも難しい。どこかのだれかにお金を払ってチケットやパスポートを買ったり、ガイドブックやコーディネーターを頼りにすることもできない。彼女の言っていた通りだった。 彼女はいまもまだ、あの二〇二号室にいるのかもしれない。それとも、彼女は彼女の変わった能力、持ち主がいなくなった部屋を探し当てる能力を使って、別の空き家を転々としているのかもしれない。彼女は、誰に知られるでもなく、ドアの向こうの異世界にひょうひょうと足を踏み入れるのだ。いちばん近くていちばん遠い場所に。ぼくたちの日常から、扉ひとつ隔てた別の世界に。 ☆ ぼくはもう大学生ではない。三十三歳で、かれこれ十年くらい小学校事務の仕事をしていて、はじめての離婚を目前に控えている。正確にいうと、事務員の仕事は四ヶ月前から休職している。貯金を少しずつ切り崩しての生活だが、お金には困っていない。お金に困り始めたら、本当に困ってしまうと思う。いまのぼくの唯一の強みは、お金に困っていない、という点にある。 小学校事務の仕事をはじめたのは、母親の紹介がきっかけだった。母は地元の小学校で養護教諭をしていて、所属している市の教育委員会のひとたちは、幼い頃からぼくのことをよく知っていた。ぼくが都内の私立大学を卒業して、二十四歳で仕事がなかったとき、母の職場の上司が声をかけてくれて、いちおうの試験と面接をパスして、気がついたら小学校の事務員になっていた。さすがに母とは違う小学校に配属されたけれど、職場には母の知り合いが少なくない。田舎なので、ひとつの学校に事務員はひとりしかいない。全校生徒の数は三百人ほどで、学校の備品の購入や管理、給食費の会計、名簿の管理など、忙しいときは猫の手も借りたいほど忙しい。そのかわり、暇なときはひたすら放課のチャイムを待って過ごすことになる。誰かに怒られたりすることは、ほとんどない。算数の授業で使うおはじきを一桁間違えて大量に誤発注して、教頭先生に「これで今後十年はおはじきには困りませんね」なんて嫌味を言われるくらいのものだ。お昼ごはんはクラスを持たない教員と職員が多目的室に集まって給食を食べる。仕事でわからないことがあれば、隣町の小学校の事務員に、電話で尋ねる。いまでは仕事にも慣れて、電話をかけることはほとんどなくなった。ただ、これまで通り、ぼくの電話が鳴ることはない。近所の学校に、あたらしい事務員が入ってこないのだ。 半年前に優子さんが出て行って、休職をしているあいだ、ぼくはどうして妻と離婚することになったのか、そればかり考えていた。どうすれば二人の関係を修復できるのか、ではなく、何がぼくの問題だったのか、ということを。 ぼくは、離婚を白紙撤回することは不可能だと諦めていた。二人の関係の修復可能性については、すでにふたりで十分に話し合ったのだ。それに関して、一振りで大逆転ホームランを決めるような、とびきりのアイデアを生み出そうとしても、ぼくひとりの脳みそでは不可能だとわかっていた。ぼくたち夫婦は、話し合いが不可能なほど決別したわけでもなければ、どちらかの脳みそが足りなくてまともな議論ができないわけでもなかった。二人は根気強く話し合いをした。そして、長い話し合いののち、二人の関係は修復不可能だという結論に至った。ぼくたち夫婦は、ひとりで考えるよりもふたりで考えたほうが、あらゆる課題についてより速く、正確に、かつ合理的な結論に至ることができるという確信のもとに共同生活を営んでいたはずだった。愛や親切が揺らいでも、その確信だけは、結婚生活の最後まで揺るがなかった。ふたりの脳みそが共同でおこなった演算の結果、はじきだされた結論が「離婚すべし」だったのだ。万が一その結論が誤っていたとして、その誤りをどうして、ぼくひとりの脳みそで発見することができるのか。 優子さんは一週間ほど仕事の休みを取り、自身の持ち物を整理し、ついでにぼくの持ち物もうまい具合に整理してくれて、段取りよく引っ越し業者を手配し、最後は少し泣いて、二人の部屋を出ていった。まずは別居をして、落ち着いたら離婚届を出して正式に離婚することになった。 彼女がいなくなった夜、ぼくは二人が出会った日のことを思い出していた。ぼくと優子さんは、友人の紹介で出会った。高校のときにいちばん仲が良かった友人が、彼が大学生のときに広告研究会で一緒だったという優子さんを紹介してくれたのだ。そのころの優子さんは、勤めていた小さな旅行会社が倒産したばかりで、働いていなかった。世田谷の経堂にある実家に住んでいたので、お金には困っていなかったらしい。最初のデートで、彼女が車を出してくれた。それは彼女が自分で働いて買った日産のノートで、カーキ色のかっこいい車だった。 「本当はもっと、小さくて可愛い車にしたかったんだけど」 キーを回してエンジンをかけながら、優子さんは話してくれた。 「お父さんに反対されたの。この車もとても気に入ってるけどね」 優子さんは、とても上手に車を運転した。 ☆ 「あけるくんは、わたしのこと好きじゃないでしょ」 離婚という言葉をはじめて彼女が口にした数時間前、ダイニングのテーブルに座った優子さんは、真面目な顔で言った。ぼくは驚いた。あまりにも馬鹿げた質問で、そんなはずはないだろう、と思わず笑い出してしまいそうだった。優子さんに対する好きという気持ちを、結婚してから一度も疑ったことはなかった。引き出しの奥にしまった定期預金の通帳を探すように、ぼくは彼女への気持ちを探し当てようとした。預金額がいくらかはわからないにせよ、たしかここにあるはずだ、と思った引き出しを全てひっくり返すのにそう長い時間はかからなかった。ぼくは優子さんのことを好きではないらしい、とさすがに言葉に出して言いはしなかったけれど、そういう表情を隠すこともしなかった。たぶんぼくも呆気にとられていたのだろう。ぼくは本当に、とても驚いていたのだと思う。優子さんを好きではないということに、言われるまで気がつかなかったのだ。ぼくの表情を見た優子さんは、あまり驚いていないように見えた。 優子さんは男女共に好かれる素朴さというような、ある種のかわいらしさはあったが、典型的な美人ではなかった。後ろで束ねただけの乾燥した長い髪の毛はごわごわしていて、あまり清潔な印象を与えなかったし、近眼のせいで目つきが悪く、鼻が小さくて逆まつげが妙に長いせいで、眼鏡のレンズはたいていいつも汚れていた。なにより、そうしたことに彼女自身あまり頓着しなかったし、こちらが指摘をすると機嫌が悪くなって、口数が少なくなった。ただし、ぼくは彼女の容姿が、日本人女性の平均から極端に離れているとも思わなかった。正直に言って、あまり気にしたことがなかった。 その日の夜、優子さんは離婚をしたいと切り出した。すでに彼女の意思は絶望的なまでに固まっているようだった。笹舟を川に浮かべて流れを観察するような言い方ではなく、意を決して重い石を川底に放り込むような言い方だった。きっと彼女は、ぼくが彼女を愛していないことに、とうの昔から気付いていたのだ。ぼく自身が気づくよりも、ずっと前から。 ふたりで一緒にベッドに入ると、彼女はひゅるひゅると白い糸がひたいの中央から宙に抜けていくように、あっという間に眠りに落ちた。彼女は彼女の葛藤を、ひととおり彼女のなかで終えていたのだな、とぼんやり思った。残されたぼくはクイーンサイズのベッドの上で、彼女のかすかないびきを聴きながら、いつまでも眠れないまま横になっていた。ぼくたちは約四年間夫婦でいたけれど、それから彼女が出ていくまで、一週間もかからなかった。 結婚当初にぼくたちが住んでいたのは新宿七丁目のNというアパートで、平家の一戸建てを改造したような、焦げ茶色の建物だった。一階と二階にそれぞれ別の玄関があって、二世帯が住めるようになっていた。上の階には中国人の男性が二人か三人で住んでいた。彼らはとても静かに暮らしていた。というより、ほとんど家には帰っていなかったのだと思う。 新宿の東側には、古くからある山の手の住宅街が広がっている。新宿文化センターという、名前も実態も新宿のファッション性を完全に失った施設からさらに東に行けば、北からぐるりと早稲田、飯田橋、市ヶ谷、曙橋が取り囲むエアポケットに入り込む。このエリアは都営大江戸線が開業するまで陸の孤島と言われていたらしく、静かな住宅街が延々と続いている。東京の、いわゆる下町ともまた違う、無味乾燥としたエリアだ。人々が話すのも浅草や押上みたいな東京弁ではなく、標準語という感じがする。ちなみに、都内で最も標高が高いエリアでもあり、山手線の駅がすべて水没しても、この界隈だけはぽかんと浮かぶ孤島になる。道が狭く、さほど長くはない階段や崖があちこちにある。新宿西口のビル群が見えるけれど、こちらのほうが丘になっていて標高が高いので、威圧的には感じられない。朝も昼も、光の中でぼんやりと輪郭をつくって、穏やかに立っているだけだ。 ぼくたちの部屋は一〇一号室で、六畳のダイニングと八畳のリビングがあって、独立した風呂とトイレもあった。三畳ほどの広さの、日当たりのよいベランダもあった。歩いて二十分で新宿東口に行ける立地で、優子さんは職場が新宿だったので、毎日歩いて通っていた。ぼくは片道三時間、四つの路線を乗り換える必要があったけれど、朝夕のラッシュに巻き込まれることはなかったし、ほぼ五時に定時退社することができたので、とくに不満はなかった。 築年数が四十年くらい経っていて、耐震構造と防犯性能が皆無に近かったせいで、家賃は六万五千円だった。ベランダのすぐ横に地元の住民が歩いて通り抜けるための小道があって、リビングのちゃぶ台に座ってくつろいでいると、そこを歩く人たちときれいに目が合った。そのベランダの日当たりがいいのは小道の向かいに空き地があるからで、その空き地は中途半端な広さのせいで建ぺい率の問題があるらしく、建物を建てることもできず、空き地のまま放置されていた。結果として、われわれのベランダとリビングは通行人および周辺住民の視線をやたら集めるスポットになっていた。言い換えればその開放感が心地よいのであって、ぼくと優子さんは休みの日になるとベランダのベンチに座ってのんびり過ごした。半年もしないうちに、通行人はほとんど顔見知りになった。 優子さんの父親は、ぼくと優子さんがそんな場所に暮らしていると知って、せめてオートロックで、二階以上の部屋に住んでくれと言った。お金なら出すから、とまで言ってくれた。だが、ぼくたちは彼の言うことを聞かなかった。反抗的な態度をとったわけではない。あくまでも穏やかに、社交的に、社会人としての自覚の元に、申し出を断った。優子さんは初めて実家を出て、自分たちの部屋を持って暮らすことにわくわくしていたし、ぼくも二人だけの世界を楽しんでいた。優子さんの父親も、二階に住んでいるのが中国人だと知ったとき少し興奮気味に文句を言ってきた以外、諦めた様子でわれわれに優しく接してくれた。二年後、彼の要望通り、いま住んでいるオートロック付きマンションの七階に移ることになったが、それはまた別の話だ。 ☆ 「トランシーバーみたいなの」 二人が一緒に暮らし始めて半年ほど経ったある日、たった十二文字のメッセージが携帯電話に届いた。優子さんからだった。ぼくは副都心線の電車のなかで、ホームと反対側の扉にもたれかかっていた。平日だったと思うが、車内は不思議なほど空いていた。小学校を定時の五時であがったのに、時計を見るといつのまにか八時を回ろうとしていた。乗り換えのたびに小さなロスが重なると、気がついたら随分遅くなっていることがある。 トランシーバーみたいな出来事が、ここ最近あっただろうか、とぼくは考えた。トランシーバーにまつわる会話が事前にあったとすれば、彼女はそれについて何かを言っているのかもしれなかった。しかし、トランシーバーという言葉は、まさに晴天の霹靂のようにふたりの間に現れたものだった。ぼくたちは山に登るわけでもないし、携帯電話を持っているし、いまどきトランシーバーについて話すことはない。そもそも、トランシーバーってどんなものだったか疑問に思い、検索すると、いくつかの画像とともに「近距離の無線連絡に用いる、携帯用の小型通話機」と説明があった。 とりあえず、何かを冗談めかして返そうと思ったときに、優子さんから画像が送られて来た。それはトランシーバーの画像だった。直前にトランシーバーの画像を検索して見ていたから、ぼくはその画像に写ったものがトランシーバーであるということを即座に理解できたのかもしれない。そうでなかったから、その写真に写ったものの正体がなんなのか、しばらく考えてもわからなかっただろう。 どうやらその画像は、ぼくたちの家のクローゼットと壁の隙間を写したものらしかった。光の量が足りておらず、画面が全体的に赤みがかっていたので、ぼくはズームして、そのうえ目をこらさなければならなかった。畳の上にひっそりと置かれたそれは、初期型の携帯電話みたいに図太く直立して、十センチほどのアンテナをひょろりと伸ばしていた。黒光りして、少しだけ背筋が曲がっている。ぼくは嫌な予感がした。ぼくたちの家にトランシーバーがあるとすれば、設置したのはぼくたち以外にありえなかった。 「トランシーバー?」 ぼくはとりあえず返信をした。本当はもう、それがトランシーバーであることを確信していた。同時に、まずいことになった、と思った。ぼくは携帯電話の電源を切った。電車は東新宿駅に到着した。 優子さんは、家の前の道に出て、ぼくを待っていた。 「携帯の電源が切れちゃって」とぼくは嘘をついた。優子さんはそんな嘘には気を留めていないようで、「あれ、あけるくんが買ってきたの?」と聞いた。深刻な様子だったので、ぼくは黙った。家に入って、クローゼットの横を確認すると、窓際の壁にもたれかかるようにして、トランシーバーが立っていた。耳をすましたけれど、音は出ていないようだった。電源が入っているか確認するために、点灯している光があるかどうか、かがみこんで観察した。優子さんは後ろに立っていた。緑も赤もオレンジも、いっさい光を発していなかった。スピーカーらしい小さな穴が無数に空いていたが、人の声も、電波のノイズも聞こえなかった。あるいは、トランシーバーのように見せかけて作られた、ただの黒いプラスチックのかたまりなのかもしれない、とも思った。きっと今のトランシーバーはもっと小型で、アンテナだってこんなにみっともなく太いのを伸ばす必要はないはずだ。でもそれは、トランシーバーよりもトランシーバーらしいものに、そのときのぼくには思えた。そのトランシーバーは、わたしはトランシーバーのように見えることが大切なのです、と主張しているように見えた。 「ねえ、それ、誰が置いたの」 優子さんが聞いた。 「心配しなくていい」とぼくは答えた。 「あけるくんが置いたの?」 「そうかもしれない」 ぼくの答えに、優子さんはとても不安そうな顔をした。 「どういうこと? そうかもしれないって。なんのために? わたしが部屋で変なことをしないように、置いて行ったの?」 彼女の質問は的はずれだった。ぼくがそんなものを設置して、ひとりでいるときの優子さんの様子を盗み聞きしようなどと考えるはずはない。そもそも、トランシーバーは電波を飛ばすことのできる距離が限られているし、双方向に会話を飛ばすために設計されている。盗み聞きに使うような道具ではない。 「こんなものが、勝手に家の中に置かれているはずはないんだ」ぼくはなるべく丁寧に、優子さんに説得するように言った。優子さんは感情的な人ではないし、理屈を話せば分かってくれる。ぼくたちは夫婦だし、二人でいればより理性的になれる。 「ただ、よく覚えていないんだ。それだけだと思う。ぼくはこれを置いたかもしれないし、置いてないかもしれない。でも、ほかの誰かがこれを置くなんてことは考えられない。ここはぼくたちの部屋だから。こんなものを部屋の片隅に置くとしたら、ぼくか、優子さんだと思う。そう考えるのがいちばん理にかなっている。そうだろ?」 優子さんはぼくの目を見た。まったく納得がいっていない様子だった。 「でもわたしじゃない」優子さんは言った。 「きみじゃないかもしれない」ぼくはトランシーバーを持ち上げながら言った。水がたっぷりつまったペットボトルみたく重かったが、そのことに気づかれないようにして話を続けた。 「でもそれは分からない。ぼくたちはこの可能性を平等に分けるべきだと思う。このヘンテコな物体を持ち込んだのは優子さんかもしれないし、ぼくかもしれない」 夕食のグラノーラと牛乳をボウルに注いで、テーブルに置いたトランシーバーを眺めながら、食事をとった。優子さんは、少しのあいだ実家に帰りたいと言った。世田谷の実家だ。ぼくは、それで構わないと言った。なにかあまり常識的ではないことが起きた時には、とにかく時間が必要なのだ。慌てて考えて、無理に結論を見つけるのはよくない。そういう類の出来事というのは、時間さえ経てば過去に吸い込まれてしまう。記憶というものは本来、妙な出来事をありのままに所持しておくのが苦手で、強引にでも常識に沿うように、合点のいかない部分を削ぎ落としたり捻じ曲げたりしてくれる。ぼくたちにできるのは、ただそれが行われるのをじっと待つことだけだ。そのためには、時間を味方につけなければならない。 優子さんは、怒ったような、泣きべそをかいたような様子で荷物をつめていた。きっと腹が立っているのだろう、とぼくは思った。話しかけることはせず、そのあいだ、そのトランシーバーをどう処分すればいいのか考えていた。金属ごみとして月二回の収集に出す必要があったが、あいにく収集日はちょうど前日だったので、すぐに捨ててしまうわけにはいかなかった。二週間先ともなると、先に壊してしまったほうがいいだろうな、と思った。そもそもすでに壊れている可能性のほうが高いけれど、念を入れて物理的に壊しておいたほうがいい。優子さんにもトランシーバーを壊すことを約束した。 優子さんが大きなリュックを担いで家を出たのを見送ってしばらくしてから、ぼくはそれを握りしめて家を出た。近所に手頃な月極駐車場があったので、そこに入って、アスファルトでできた地面にトランシーバーを叩きつけた。バン、と思いのほか大きな音がした。すでに十時を回っていたので、すこし合間を開けてから、合計で三回、地面に叩きつけた。そっと持ち上げて耳元で振ってみると、中でジャラジャラと音がした。 家に帰って、とりあえずトランシーバーはベランダのベンチの脇に置いておくことにした。手のひらに古いオイルがついてしまったので、石鹸で洗いながらぼくは考えた。ぼくは、そのトランシーバーを自分が置いたのだと堂々と言わなかったことを反省していた。それからぼくは優子さんのことを考えた。ふたりの生活には、これからたくさん、今回のトランシーバーのような状況が訪れるはずだ。そうしたときに、ぼくはどのように対処していけばいいのだろう。 優子さんが帰ってきたのは、それから半月ほど経った週末だった。そのときには、ぼくはすでにトランシーバーを職場に移動させていた。優子さんにはもう捨ててしまったと嘘をつくつもりだったが、結局その必要はなかった。それから二人は、トランシーバーなんてなかったかのように、平穏な夫婦生活に戻ったからだ。トランシーバーはぼくたちの生活から跡形もなく消えていた。しかし、トランシーバーの出来事が起きたあとでは、トランシーバーの不在という当たり前の状況が、全く別の意味を持つものになってしまった。もし、あのときぼくたちの部屋に現れたものがトランシーバーではなくて、例えばテレビのリモコンや、サングラスや、ヘアドライヤーや、盗聴器だったりしたら、ぼくたちはもっと自然になれたかもしれない。 ☆ 初めてのデートの日、ぼくらは事故にあった。とてもよく晴れた夏の暑い日で、ぼくたちは湘南にある水族館に向かっていた。渋滞続きの高速道路をようやく抜け出して、藤沢インターを降りたばかりのまっすぐの道で、ゆるい下り坂だった。ぼくは携帯電話か何かをさわって、下を見ていた。優子さんが小さく「わっ」と言うのを聞いて、ぼくは顔を上げた。すぐに前を見たのか、いちど優子さんを見てから前を見たのかはわからないが、車はぐんぐん進んで、前を走っていた車の背面が勢い良く近づいてきた。急ブレーキの音を響かせながら、車はほとんど減速できないままぶつかった。ばん、と勢い良く金属が潰れる音がして、その衝撃で、ぼくは強く目を閉じた。しばらくして、こんどは後ろの車がぶつかってきた。二度目の衝撃のあと、ようやくあたりが静かになった。頭の混乱が徐々におさまって、目を開けると、ボンネットが盛り上がって、そこから立ち上る煙がゆらゆらと動いている以外、すべての動きが止まっていた。ぼくは第一声で「ごめん」と言った。よくわからないまま、謝った。「大丈夫?」と優子さんは聞いた。「大丈夫」とぼくは胸のあたりをさすりながら答えた。ぼくは初めての事故だったし、車の免許を持っていなかったので、状況の理解ができていなかった。優子さんがドアを開けて、歩道に出た。対向車線を確認して、ぼくも外に出ようと思ったが、助手席側の扉はびくとも動かず、開かなかった。優子さんは手のひらで庇をつくって、あたりの様子を確認していた。ぼくは頭の中を整理していた。ぼくはぶつかる直前、何をしていたのだろう、とまず思った。彼女の運転の邪魔になるようなことを、何かしていただろうか? 優子さんが状況を確認して戻ってくると、「六台みたい」と言った。ぼくも彼女のあとについて、運転席の扉から外に出た。歩道から引いて見てみると、六台の車が、左右に少しずつ軸をぶらしながら、がらがらへびのおもちゃみたいに一本になっていた。ぼくたちの車は前から四台目だった。 ぼくは、ぶつかった瞬間から、事故の状況を確認できるまで、優子さんが何かミスをして、彼女の責任で事故が起きたのだと勘違いしていた。具体的には、信号待ちをしている車に突っ込んでしまったとか、そういうことだろうと思っていた。「六台」と聞いたときに、その六台の車に乗った人々の人生のすべてを償うために、優子さん一人の人生で足りるのだろうかと、そんなことも思った。 車を降りてしばらく経つと、この事故の責任は先頭を走っていた一台の車にあるらしいと、ぼくも冷静になりつつあった。先頭の車は車高の高いミニバンで、降りてきた運転手はどうにもうだつの上がらなそうな、まばらな無精髭を生やした二十歳そこそこに見える男だった。下は灰色のジャージ、上は白のパーカーという格好で、自分のやったこともよくわからないような様子で、反省するでもなく、言い訳するでもないような表情でぼうっとしていた。残りの車から降りてきた人たちは、中年の夫婦と、若いお母さんとその子ども、それから若い男性だった。誰も怪我はしていないようだった。しばらくすると警察が来て、さらに保険会社の二人組がやって来た。ぼくはぼんやりとしながら、胸のあたりをさすっていた。痛みは微かだったが、事故にあうと痛みは後からくるということを知っていたので、伸びをしたり、屈伸をしてみたりして、体の状態を確認していた。優子さんはほかの乗客やぼくにたいして、時折笑って見せたり、冗談を言ったりしていたが、やはり動揺していたようで、車の鍵をレッカー会社のひとに渡し忘れて、警察に迷惑をかけていた。 現場での状況確認と、警察署での聞き取りが済んでから、タクシーに乗って優子さんの車が保管されている自動車の修理工場に行った。ぼくたちは、すぐに彼女の車を見つけることができた。バンパーの部分が外れて、六台のうち、いちばん派手に潰れているように見えた。助手席側はドアの付け根の部分が変形していて、内側からドアが開かなかった理由がわかった。うしろに回ると、リアタイヤの位置までトランクが潰れていた。優子さんは悲しそうな顔で潰れたトランクを撫でていた。それでも、このときも泣いてはいなかった。水族館のデートの予定はもちろん延期になった。車は一ヶ月後をめどに、誰かの保険で修理されて帰ってくることになった。 その日、彼女の車が置かれていたのは、厳密にはプレハブでできた修理工場のとなりの、空き地のような場所だった。不揃いな大きさの小石が転がっていて、ところどころにぴょんぴょんと背の高い草が生えていた。その空き地には、奥から整然と、何列にもわたって車が並べられていた。どの車もガラスが割れたり、ボンネットや室内が大きく潰れたりしていた。どうやら、事故にあった車をとりあえず引っ張ってきて、手の施しようがない車はそのまま放置しているようだった。おそるおそる、そのうちの何台かに近づいて中をのぞいてみたが、どれもシートは綺麗で、血の跡が付いていたり、割れたフロントガラスに髪の毛が挟まったりしている様子はなかった。そのうちの一台の車のまえで、ぼくは足を止めた。その車は、もはや車というよりも、原型をとどめないただの金属の塊になっていた。リアの部分がねじり上げられるように潰れていて、クリスマスツリーのてっぺんに星のオブジェが飾り付けられるように、しゃちほこのように反り返った車体の、いちばん高い部分にタイヤが付いていた。そのタイヤが左右どちらのタイヤなのかすらわからなかった。とても大きな衝撃だったのだろう。複雑な方向に押しつぶされた塊の中で、衝突のこだまが今もなお反響していているようだ。耳を澄ますとそれが漏れ聞こえてくる気がした。 ☆ 休職して四ヶ月になるけれど、朝は早く起きて、都立公園までジョギングに行く。夜は十時になったら、さっさと眠ってしまう。生活のリズムを整えることの大切さは、大学を卒業して、仕事を見つけるまでの二年間で身に染みて感じたことだ。やることがないと、どうしてもダラダラしてしまって、寝たり寝なかったりの、その中間が多くなる。 最近は朝の五時半に起きて、駅前にある二十四時間営業の簡易スーパーマーケットに行くようにしている。前日の夜に控えておいた買い物リストを見返して、そこからさらに本当に必要なものだけを買う。この四ヶ月間、家とスーパーを往復する以外、電車にも乗っていなかった。いまのマンションから最寄りの駅は地下鉄で、当然線路は地下にあるので、地上からは見えない。ドラッグストアやコンビニ、クリーニング店などがあって栄えてはいるけれど、地下鉄の駅のまわりは、動脈も静脈もなく、心臓だけがひとりでに脈を打っているような、どこか血が通っていない不健康な感じがする。 買い物を終えて帰ってくると、一階の郵便受けに大きな茶封筒が入っていた。家を出るときに、なにか届いていないか横目で確認したはずだったけれど、見落としていたらしい。太いマジックで書かれた差出人を見ると、優子さんだった。経堂の実家の住所ではなく、中央区晴海の知らないマンション名があって、部屋番号までしっかりと書かれていた。住所を知ったからといって何をするわけでもないけれど、別れたあとのあたらしい住所をわざわざ隠さずにいてくれるというのは、いまでも多少は信頼関係が成立している感じがして、嬉しかった。その場で中身を確認すると、離婚届と返送用の封筒が入っていた。手紙か、簡単なメモだけでも入っていないかと思って、封筒を逆さにしてみた。余計なものは髪の毛一本すら入っていなかった。 エレベーターで七階まで上がって、部屋着に着替えてから、リビングルームのソファに座って離婚届と向きあった。白紙の離婚届には、記入が必要な箇所に小指サイズの付箋が貼ってあって、五分ですべての項目を埋めることができた。折り畳まれた返送用の封筒を開いて、なかに離婚届を入れた。口のりに加工がしてあって、両面テープを剥がすだけで封ができるようになっていたので、封をしないままリュックサックの背中側に差し込んだ。もう一度、外出ができるようなまともな服に着替えて、あとで忘れずに封を閉じるように自分に言い聞かせてから家を出た。家の近くの郵便ポストの前で、すこしのあいだ立ち止まって考えたけれど、横断歩道を渡って地下鉄に降りた。 渋谷駅で乗り換えて、ぼくは田園都市線の各駅停車に乗っていた。青葉台駅の北口に降りたとき、時計の針はまだ朝の九時四十一分を指していた。これからバスで小山町のアパートに行って、もう一度、あの二〇二号室のチャイムを鳴らしてみようと思う。外まで漏れ聞こえてくるあの軽薄なチャイムの音と、不審そうな目つきの住人が、ぼくを現実の世界に連れ戻してくれることを祈って。