十月十五日(月)

父親のねじりはちまき堂々と胴体に巻き踊る五歳児

子どもを持つか、持たないか。周りの大人たちを見ていると、子どもの有無は、当人たちの幸せとは関係がないようです。もちろん、子どもを持つにはまず自分が「オトナ」になる必要があります。つまり、ある程度の貯蓄があって、家庭を作る気概があって、さらに周囲の支援もないと、どんなに望んでも子どもを持つのは現実的に難しい。

と書いていて思ったのですが、現実にはどこからどうみてもまだ「オトナ」じゃない、つまり貧乏だったり、ポンコツだったり、孤立無援だったりする人たちも、子ども持って育てている、気がする。子どもと一緒に笑ってる姿は一様に幸せに見えるし、子どもの成長とともに自分たちも「オトナ」になっていくのかも。うーん、それもなんか、綺麗事でごまかしちゃっている感じはあるなあ。

それにしてもこの、自分の人生をどうするか考えるときに、他人の人生や決断をモデルケースにして想像するしかない状況というのは、言葉の選び方が難しい。自分が将来、五十歳になって、なんらかのカタチの「家族」に属しているときに、二十六歳のこんなフワフワした文章を読んだら、嫌な気持ちがするのかもしれない。

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