一月二十七日(日)

外国のお人形さんみたいだねえ、なんか、仕上げが雑な感じが

「図書館で森博嗣の『すべてがFになる』を読んだら、自宅の鍵が「F」になって鍵穴と合わなくなり、家に入れなくなってしまった主婦」っていうイメージが頭のなかにあって、そういう短歌を書きたいと思ってしばらく集中してみたのですが、どう考えても短歌の31文字にマッチする情報量ではない、ということに気がついてしまいました。ちなみに『すべてがFになる』は読んだことがありません。

あと、「棒高跳びを愛するあまり、棒高跳び用のマットをベッドにして、棒高跳び用の棒を抱き枕の代わりにして眠る棒高跳びの選手」という短歌も考えたのですが、これも情報量が多くて断念しました。ぼくは基本的に「短歌」というもののコンセプトを間違えている気がします。

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