「図書館で森博嗣の『すべてがFになる』を読んだら、自宅の鍵が「F」になって鍵穴と合わなくなり、家に入れなくなってしまった主婦」っていうイメージが頭のなかにあって、そういう短歌を書きたいと思ってしばらく集中してみたのですが、どう考えても短歌の31文字にマッチする情報量ではない、ということに気がついてしまいました。ちなみに『すべてがFになる』は読んだことがありません。
あと、「棒高跳びを愛するあまり、棒高跳び用のマットをベッドにして、棒高跳び用の棒を抱き枕の代わりにして眠る棒高跳びの選手」という短歌も考えたのですが、これも情報量が多くて断念しました。ぼくは基本的に「短歌」というもののコンセプトを間違えている気がします。